早いもので父が亡くなりもう一年が経ちました。
命日である今日は一周忌の法要です。これから行って参ります。
思い返して見ても本当に早い一年だったと思います。父のことより息子の成長に気を取られていましたね、当たり前ですが。
今となっては父は幻ような存在です。
確かに一年前まで存在した。でもその記憶は思い出以上ではない。
というのも自分に父親がいたという認識は当然ありますがそれが実在したものか怪しいという錯覚です。これは人間の本能による作用と言われています。
亡くなった人や去っていった人をずっとリアルに感じてしまうと気持ちが前に進まないためです。また極度のストレスを受けた場合にもこの作用は発揮されます。
要は嫌なことを忘れようとする、作用です。
さて一周忌という節目を迎えたわけですが、今後の我が家はどうなるでしょうか。
母は独り身で大層さみしいかもしれません。私はあまり変わらない生活を送って居ます。ただ所々で頼りたくなる場面が存在します。いま古い言い方ですが私は家長、男は息子か私しかいないのでやらなければいけないことはほぼ私がやるわけです。
冠婚葬祭には当然私が。そこでも父はどのような振る舞いだったのか、親戚付き合いの中で疑問に思います。
また仕事面でも父の後を継いだものでは下請け業者の選び方や金額設定、利益率。私とどれくらいの差があるのだろうか。私は利益を求め過ぎている気がします。
一昔前の現場系の人は利益より信用と言っていました。でも私が社会人になって教わったのは一人勝ちでは後に繋がらず、不利益では成り立たない。お互いの均衡を保つ利益が理想と社長に付いて回っていた頃教わりました。
難しいことではありますが少しの手間と知恵でお互いのためになることが多いです。
例えばフリマアプリやオークションもそうです。
売り手と買い手のいいところで取引が成立します。仕事においてもこれが必要。
フリマは値下げ
オークションは値上げ
していく形式ですね。
話が逸れました。
依存していたつもりはありませんでしたが、ふとした時に思い返すのはまだまだ一人前ではない証拠。ほとんどの人がそうだと思いますが一生一人前にはなりません。
父は胆管がんと診断されてから一年半ほどで亡くなりました。
世の中こんなこともあるのか、という奇跡もある反面、不幸の奇跡もあったりします。
先月叔母がすい臓がんと診断されました。立て続けに身内で質の悪いガンにならなくてもいいだろうと思いました。
ただなったから死ぬわけではありません。治ることだってあります。
そうやって希望を持ちながら生きています。
叔母が言ってましたがガンになると本人より家族の方がショックが大きいと。
確かにそうかもしれませんね。よく言えばそれだけ周りの人に思われている存在とも言えるでしょう。
神や仏にお願い事をしたことがありますか?
私は昔はしていましたが今は全くしていません。知り合いのお坊さんに聞いたら仏様にそのような力はないそうです笑
お願いするより奇跡を引き当てる方がずっと確率はいいですよ!