釣れ然なるままに written by 小泉 貴久

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30歳を前に振り返る私の過ごした20代 その1

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2019年12月15日を持って私は30歳になる。

 

今回は激動とも言える20代の10年について書こうと思う。

普段はですます調で書くブログだが、読みやすくする意味でもかっこつける意味でも、である調で書いていく。

 

思えば10年間、とても早かった。

10年前の今頃、なにをしていたか、昨日のことのように覚えている。

というのも20代のデビュー戦があまりにも強烈過ぎたためだ。

 

プロローグ

10代はチャラく、どうしようもないやつだったと思う。

校則は守らないし、遊びまくってるし。

 

そんなやりたい放題だったが高校は停学にも退学にもならなかった。

私立だった私の通う高校。

 

生徒や保護者というのはある意味お客様になる。

高額な学費を払ってくれる。

 

どうしようもないバカや犯罪を犯して学校のブランドを下げるやつでない限り、学校としては在籍してもらったほうがいいのである。

 

その弱みを知っていた私は学年成績常にトップ5に入っていた。

成績表はほとんど10段階で9か10。

ロン毛でもピアスでも髪染めていようとも、廊下で女の子とイチャイチャしても停学や退学にはならない。

 

そんな青春時代をすごし、指定校推薦というチートで理系大学へ。

父親が建築業だった、なんかモテそうという理由で建築学科へ入った。

 

大学時代は割愛する。

ダブりなしでストレートで卒業している。

 

20歳のバースデー

20歳の誕生日は成人式というめでたい行事がある意味でも人生で最大級の誕生日かもしれない。

20歳、つぎは60歳だろう。

 

私は多くの、数100人単位に祝ってもらうことができた。

頂点で始まった20代だった。

 

というのも当時私は雑誌のモデルをしながらホストクラブで働いていた。

高校生のときから男を磨くにはホストと信じていた。

いまではローランドさんが頂点として取り上げられている。

まさにそんな人たちにあこがれていた。

(ローランドさんは俺の後輩世代に当たる)

 

自分で言うのもなんだけど、雑誌の効果もあってお客様にはめぐまれた。

当時未成年から働いてたこともあり、当然酒は飲まない営業スタイル。

ただし20歳になったらお酒を酌み交わそうという営業をしていた。

そして大人の女性からたくさんのことを教えてもらった。

 

会話術、身のこなし方、女性が喜ぶことなどなど。

 

 

そしてむかえた20歳の誕生日。

天井に当たるのではないか、という高さのシャンパンタワーにシャンパンを注いでスタートした。

もちろんその月はNo,1

 

その後しばらく3位以内に入っていた。

 

しばらくした後、かなりかっこいいやつにバンドに誘われた。

バンド活動に専念するには学校かホストをやめないかぎり時間は作れない。

 

だから燃えつきかけてしまったホストをやめてバンドをした。

ホスト時代はコミュニケーション力がとにかく鍛えられた。

さらには心理学や読心術なども学ぶことが出来た。

おまけではあるが読唇術も得意になった。

 

このころ、頻繁にグアムやサイパンに行きまくってた

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バンド時代

大学へ通いながらバンド活動に明け暮れた。

2年くらいはマジな下積み。

ホストでちやほやされていたから余計にきつい。

 

女の子が見向きもしない。

この俺に!

とずっと思ってた笑

 

あるとき、きっかけは忘れたがバンドがそれなりに人気が出た。

そこからはモチベーションを取り戻しイケイケに。

このときに使っていた名前がきょーやである。

ツイッターでもちょっと前までこの名前がついていた。

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今使っているツイッターのアカウントはこの当時から使っていたものの使いまわしだったので「きょーや」の知り合いが多く居たのでずっと名前を残しておいた。

 

バンド活動が順調に進む中、大学を無事に卒業した。

もちろん、みんなが就職活動にいそしむ中、私はライブやレコーディングばかりしていた。

だから卒業式もバリッバリのドレススーツ。

リアルファーのマフラー。

エクステの超ロングヘアーだった。

 

そこで一つの不安があった。

卒業するまでは学生という社会身分。

卒業すると職業バンドマン、かフリーターになってしまう。

 

正直実家暮らしであるためバンドの収入だけで生きていけた。

しかしいつダメになるかわからない。

だから音楽専門学校に在籍することにした。

 

音楽専門学校では気が向いたり、スケジュールが合うときだけ行ってた。

あとは腕を磨くためにマンツーマンでベースのレッスンはしてもらってた。

 

専門学校にいるときにバンドではなく、1ベーシストとして仕事をもらうようになった。

ライブやディナーショー、レコーディングに呼ばれてベースを弾く仕事。

ロックやジャズが多かった。

 

ちなみにこのときにメインで使っていたベースは

Zon legacy elite 519

80万円ほどするベースだ。

そのベースについてはこちら。

【ハイエンドベース】Zon Legacy Elite 519

 

バンドでは作曲、編曲。

ベースとシンセサイザー、オーケストラを担当していた。

現在もApple Musicで当時のバンドの曲を聴くことができる。

 

ミュージシャンとして活動しているとやっぱりその上がのぞきたくなる。

 

私は末端の人間。下請けである。

その立場が気に入らないわけではないが偉そうにみえたレコード会社のプロデューサーやディレクターに興味を持った。

 

あるとき音楽メディアで大手レコード会社の求人を見かけた。

時間もなかったので茶髪の証明写真とほぼ殴り書きで書いた履歴書を送った。

 

正直受かるとも思っていなかったら一次面接に呼ばれたのだ。

 

レコード会社時代

私服でどうぞ、って書いてあったからクラッシュパンツにホストっぽいトレンチコートで行ったら会場で完全に浮いた。

始まったのは集団面接、いやグループディスカッションというやつ。

 

お題を決められて語り合う。

テーマは忘れたが私は黙っていた。

 

しゃべったやつが負けだ。

 

そう思っている。

通常時は好きなように会話を楽しむ。

この面接というやつは話力を見られている。

 

適当な重みのない言葉やセリフを吐いても墓穴を掘る。

だから黙っていた。

 

そしてグループディスカッション最後に話がまとまったとき。

皆がまとめた答えを真っ向から否定し、反対論を重いトーンでゆっくりしゃべった。

 

想定外の事態が起こったり、読み間違えた場合の軌道修正はどうするのか?

それはリスクヘッジとして代替え案をいくつか用意してバックアップする必要があるだろう。

多数決が正しいとは限らない。

 

といった内容を私はしゃべって一次試験は終わった。

 

そして二次面接に呼ばれた。

見回せば同じグループにいたやつは一人もいない。

 

二次面接は集団面接。

これに関しては答えられた質問に答え、無理ない範囲で質問を仕返すスタイル。

 

私はこう考えます、参考までにあなたのお考えをお聞かせ願いたい。

 

こんな感じ。

 

すると二次面接も突破。

私的には勝ちに行っているのではなく、ホスト時代に皆からもらった話術を披露しに行っているだけだ。

正直受かってもどうでもいい。

この大手レコード会社の募集内容は総合職。

営業に配属されるかもしれない。

私がやりたいのは制作、ディレクターだ。

 

いちいち営業とか興味がないものに耐えて何年か先を待つのは無理。

だから受からなくてもいいと思っていた。

 

3次面接は役員面接。

社長、取締役など役員の面接。

 

この時点で茶髪のロン毛、髭、ネルシャツのやつは私しかいない。

当然目立つ。それが狙い。

 

質疑応答は特に覚えていないがとっておきの隠し玉は持って行った。

 

最後に質問はあるかな?

 

御社は日本国内において老舗ともいえる会社です。

しかしあとから出てきた外資系会社、平成になってから出てきた新参者より業績がはるかに劣り、業界8位のポジションとなっています。

 

御社の上にいるのは外資、創業20年ほどの日本を知らぬ新参者。

 

この件についてどうお考えですか。

 

 

これを最後に言い放った。

明確な回答は当然もらうことはできなかったがそんなことより、これを言いたかっただけ。

 

そうしたら採用された笑

 

4月1日 24歳

新入社員としてサラリーマンになった。

 

そのあと一発でディレクターになり、レコーディングの立ち会いやジャケット作成。

作曲家から曲を集めてコンペをしたりしていた。

 

私の一声で、作曲家やミュージシャンは起用される。

ミュージシャン時代に見たいと思った世界に入ることができたのだ。

 

家は桜新町のデザイナーズマンション。

しかし激務で家に帰れない日が続いた。

 

 

釣りに関する補足

ちょっと補足しておくとこの時点で釣りの話が出ていない。

そう、そんなに釣りをしていない。

というかほぼしていなかった。

 

幼少期から親の影響で釣りをしてきた。

ちょい投げが多かった幼稚園から小学校低学年。

そのあとはバス釣りにはまり、投げ釣りもしていた。

 

中学生〜22歳くらいまでは管釣りに没頭。

大会にも出ていた。

 

ミュージシャン業が本格化してからは日焼けや怪我する可能性があったので釣りをやめた。

 

次回

この時点で3000文字を超えたので次回に持ち越す。

レコード会社のその後、どうやってプロアングラーになったのか。

 

かける範囲で書こうと思う。