釣れ然なるままに

釣りに勤しむアラサー妻子持ちのブログ。

死生観について その2

おはようございます。

前回に引き続き死生観について書いていきます。念押ししていっておきますが私は宗教家でも霊能力者でもスピリチュアルな人間でもありません笑

強いて言えば何も信仰していません。悲観的意味合いではなく神も仏もない、と思ったりもしています。

 

おさらいですが

・死というものは当然誰にでも訪れるもの。

・「死」というものは無になるということが現実的に近い表現である。

・宗教とは生きる上でのルール、社会を構築する役割を担っていた。

・宗教では死に対する恐怖や悩みを緩和する役目がある。

 

さて人が死ぬ瞬間というのはどういったものか。前回にも書きましたが眠りに落ちるようなものに見えます。眠りに落ちるようなもの、ではなく我々生きている人間から見ればそのように見えるということです。実際ではドラマのように最後に何か言葉を残して亡くなる場合はほぼないそうです。言葉を発した後、意識レベルが下がり昏睡状態から臨終という流れになります。よくある喋っている途中でガクッとなるシーン、現実ではその後脈も呼吸もあり・・・ということです。実際に立ち会ったことがある方はわかるかと思います。それを見て眠るようなと表現させていただきました。

意識レベルが下がるということは夢を見ているか何も感じていない状況なのかもしれません。脳の活動によるものですから活動が弱まれば当然考えることや感じることも薄くなってしまいます。感覚や聴覚は残ると言われていますね。それをわずかでも脳が感じ取ったりすればその人には最後の温もりとして感じられるのかもしれません。

 

散々死後の世界は無と言いましたが私自身100%そう考えているわけではありません。来世だったり天国だったり地獄だったりがあってもいいと思っています。自分が死んで何もない、無。と思って生きていくのは悲しくなりませんか?

こうやってなんらかの宗教思想が人々の心の救いになっているんです。

 

亡くなった人、特にご先祖様を敬う気持ちは必要だと思います。その人のおかげで自分がいたりなんらかの影響を与えてくれたのだから。例え信仰が無くたとしても仏教で言えば13回忌くらいまで、お盆はお彼岸は手を合わせるだけでもいいのでするべきだと思います。関係が薄い方の法事は正直面倒だなと思う場合もあるでしょう。嫁ぎ先なんかだと知らない親戚ばかりで大変でしょうがそれをめんどくさいなどほざくようなら結婚しなければよかったじゃん、ということになります。その逆も然り、嫁の親戚の行事などで出席するのがめんどくさいなどいった思考も同じです。なら結婚しなきゃry

一度こうゆうことがあると結婚生活が終わる場合もありますね。私もとある身内に父の法要がめんどくさいと言ってるの聞いて悲しさと怒りが込み上げ、最終的に殺意に変わりそうになりました。亡くなった方へ敬う気持ちがあれば、敬う気持ちがなくても常識的にはそのような言葉が当事者に知られないよう配慮しなければなりませんね。

このパターンのトラブル、まぁ痴話喧嘩みたいなものですが割とよく耳にします。

 

なぜそうなるか、という持論ですがそれは死生観が足りないからだと思います。

死ぬことについて一度でも深く考えれば自然とわきまえられるようになりますし何より自分がそうなった時を考えれば落ち着くものです。

 

古くからの知人にお坊さんがいるのですがよく死生観についてお話を聞きます。

職業なので仏教の教えを学び、それを人々に伝えるのですが内心は意外とドライだそう。信仰がないわけではなく良い行い悪い行いは全て自分に返ってくると、己を高めるのも首を締めるのも自分。結局自分のすることが全て。そして亡くなった後はおそらく無なんだけど宗教がある以上は信じていて損はないと思う、それを広めようと、慰めようと思う。とのことでした。これを聞いたのは5年ほど前ですが心に強く残りました。

名言だ!と思ったのは教えとは違うそうですが

亡くなった方は霊や仏になる・・・のではなく祈りそのものになるのです。

 

最初聞いた時は????でしたが最近になってようやく理解しました。確かに霊や仏になり天国に住んでるかもしれません。でもそれは現世とは別世界です。では我々の住む現世では・・・お参りしたりお線香上げたりするのは我々です。故人を思い、手を合わせて。。。

ね。故人は我々の祈りという形になっているのです。これはかなり現実味のある死生観ではないでしょうか。

 

父について書いた時、泣きながら謝った、それは自分の気持ちを楽にするため。現世とあの世で考えた場合、故人はすでにいないのですから謝ったところで聞いてないんだと思います。(宗教の教え上はそうではありません、霊や仏として存在します)謝れば、お参りすればなんとなく気持ちの整理ができますし落ち着くこともできます。

これがいわゆる「祈り」という存在なのです。

そして故人は「無」またはこの世界以外のものになっている。

 

なーんからしくな記事を連日作成しましたがたまには真面目でちょっと外れた話もいいかなと。何か他に深いお話があれば(持論ですが)また書きたいと思います。